先月の頭に 以前から憧れていたアンコールワットに行ってきました。
行くと決まった時 前から見たかったけど レンタル屋に無かった
これをどうしても見たくて アマゾンマーケットプレイスで購入。
ポルポト時代に戦場の写真を撮りに行き、アンコールワットを見ることに憧れ
カンボジアで亡くなってしまった、一ノ瀬泰造という若き写真家の映画です。
この映画を見て、それまでの私の戦争写真という物に対する考え方が少し変わりました。
それまでの私は、戦争事態が既にとてもショッキングな出来事であり
誰が撮ろうと、衝撃的な写真になるもので、
それはその人の表現では無いと思っていました。
でも映画を見て、戦争という残酷・危険な場所に向かって行く
そこで生きていく人達にファインダーを向けるという行動は
並大抵な想いでは成せない事だなと痛感させられました。
写真を撮るという行動は、普通に物を見る以上に感覚を研ぎすまして物を見て
綺麗な物はより綺麗と感じ、反対に残酷な物はより残酷に見えてくる物とだと思います。
だから、それなりの覚悟が無いとその残酷な光景に目を伏せたくなる物だと思うのです。
映画の説明をしたら長くなってしまうので、
興味のある方は是非自分で見てくれと思うのですが
写真を撮るという行動について、深く考えさせられた1本でした。
それを踏まえた上でのカンボジア旅行。
家族5人で行く旅行だし、ガイドのついたツアーだし
今回は家族写真を撮ることに専念しようと思っていました。
ツアーの内容通りに観光スポットをまわって行きますが
行く先々で待っているのは 貧しい人達の姿でした。
地雷によって両手両足が無くなった子供を車いすに乗せ
それをまた子供が押し、お金をくれと言って来る。
貧しい姿のお母さんが、痩せ細った赤ん坊を抱き
お金をくれと言って来る。
小さな子供が手一杯にお土産を持って 買って買ってと言って来る。
今まで バリに行った時も、イタリアに行った時も、多少そういう人はいましたが
カンボジアはその人の数が半端無かった。
うちの兄貴は可哀想だからといってお土産を買って
そしたらすっごい数の子供たちが集まってきて
ボクのを買って!ぼくのも買って!といっぺんに囲まれてしまっていました。
正直私はその人達の事が怖くて、目を合わせる事が出来ませんでした。
そんな自分は、冷酷な人間なのだろうかとそう思えてきました。
間違っても彼らにカメラを向ける事は出来なかった・・・。
中にはお金をあげて一緒に写真を撮っている人もいたが
私には考えられなかった・・・。
ポルポト政権時代の刑務所も見に行ったけど
処刑された人達の頭蓋骨が大量に展示されていて、それが現実としてあったことを
受け入れるのだけで胸が苦しく
それも写真に撮っている人がいたが 私には無理だった。
カンボジアに行って アンコールワットを見る事に憧れていた私ですが
帰って来てから私の頭に焼き付いていたのは 遺跡よりも現地の人達の事でした。
あの場で お金をあげるべきだったのだろうか。
お土産を買ってあげるべきだったのだろうか。
しばらくはずっと そんなことを考えていました。
野良猫に飼ってもやれないのに 可哀想だからといって餌をやる。
それを私は人間のエゴだと思っていました。
それを同じように、カンボジアの人たちを本当に救ってやる事も出来ないのに
お金を渡す事は果たして本当に彼らの為になるのだろうか・・・。
彼らを本当に救いたかったら、それはお金をあげることでは無いと思うし。
募金をしてやっても、彼らの手に届くのかもわからない。
カンボジアの人たちが働けるような事業を起こす。
そのくらいの事をしてやって、初めて彼らを救うという事だと思うが
私には 当然そんな勇気は木っ端みじんもない。
世の中には貧富の差があって、全ての国が豊かになってしまったら
地球は確実に滅んでしまう。
もしも 世界の豊かさが100という数しか無いと仮定したとき
それを全ての国に平等に分け与えてしまったら、
今の日本は随分と質素な暮らしをしなくてはならなくなると思う。
しかし、一度知ってしまった贅沢からなかなか離れられない これがまた人間。
私の最終結論としては、結局何もしてやれない。
今の自分の現状に感謝をし、せめて地球に優しい生き方をしようと思うくらい。
この結論に達するまで数週間かかった。
それに思ったんだよね。
知らなきゃ済んで行く事もあるって。
彼らは彼らの基準での幸せがある。
「 お父さん今日はこんなにもお土産買ってもらえたよ!」と
子供が親に褒められ、それを幸せに思っているのかもしれない。
反対に我が家は、家族旅行の最後に大喧嘩をした。
あまり深くは話さないけど、うちの家族は多少複雑なのだ。
そう考えたら、もしかしたら我が家より幸せなのかもしれない。
幸せの基準は GDPだけでは量れない物なんだ。
どんなに豊かな日本でも、自殺や鬱病やイジメや
そういう物が溢れている事は決して幸せとは言えない。
彼らの事を可哀想だと思っているという事自体が、
人間としての彼らを見下しているのかもしれない。
ブータンのGNH( 国民総幸福量 )あの考え方は とっても素敵だと思う。
終わり方がおかしいけど また何言ってるかよくわからなくなってきちゃった。
この辺で終わらせておきます。
みなさんは どう思われますか?
カンボジアの写真 少しUPしています。
よかったら 見てくださいね♪
【silently】